Misc.
Still Time to Catch the Blossom | まだ、お花見に間に合う
MONOCLE編集長タイラー・ブリュレ氏がフィナンシャル・タイムズ紙に掲載しているコラム「FAST LANE」。
震災以後、海外においても多大な注目の元に多くの報道がなされていますが、中には酷く風評被害めいた内容であったりしています。このような状況下で、震災以後も来日を重ね日本との交流を重ねているタイラー氏が、偏光フィルター無しに日本の印象をコラムを通じて海外で発信してくださっています。感情的にならず、誇張や歪曲のない真っ当な視点に私は嬉しく感謝いたします。そして、こういった情報が国内外問わず今後も継続&増えていくことを望みます。
今回、コラムの内容を読んで嬉しくなり、周囲の人にも読んでもらいたく編集部の許可を得まして、コチラに転載させていただきます。以下に、4/15「まだ、お花見に間に合う」、3/18「照明を落とした東京」と続けてあります。
---
まだ、お花見に間に合うタイラー・ブリュレ|MONOCLE編集長
日本に行くべきか?本当に安全なのか?来月まで待つ?夏まで待つ?来年まで待つ?
この手のメールがここ数週間、私のところに殺到した。カリフォルニアで式を挙げ、数ヶ月前から長野での新婚旅行を予約していたカップル、京都で桜の下を散策するのが好きな日本通、情報には事欠かないであろうベテラン外交官などから、食関係の供給、インフラの状態、放射能の漏えい度、そして街のムード全般に関する問い合わせが相次いだ。私が今回、東京入りしたのは4月8日、東日本大震災からちょうど4週間目のことだ。幸い、地震直後に訪問した時に比べると、街のムードはかなりよくなっていた。各所の照明は少し明るくなり、ガソリンスタンドの行列も消えた。店の営業時間も通常に戻り、私の好きな食べ物屋や飲み屋もいつものように混み始めた。とはいえ、仕入れが思うようにいかなかったり、客入りが減ったりで、閉店のままのところが少なくない。
NHKのニュースでは相変わらず復興への取り組み、福島と東日本大震災復興構想会議の今後の課題などを報道しているが、放射線量のレベルはひとまず安定。それによって負うリスクは、道路を渡ったり、ヘルメットなしでスキーをしたり、牡蠣を食べたり、フェイスブックに個人情報を書き込むこと程度ととらえられている。
日本を脱出した外国人が「フライジン」と呼ばれているようだが、少しでもポジティブに過ごすため、放射能をネタにしたジョークも頻繁に聞かれるようになった。例えば、 贈答用の巨大フルーツの栽培には放射線が効くとか、 美肌にこだわる日本だから、福島の泥を使った泥パックを商品化する人が出るに違いない、とか。
今回、自分も差し迫った仕事があるから日本を訪問しているのだが、前回、地震直後に訪問したときから、仕事以外のこともしようと心に決めていた。 好きなホテルに泊まり、夏物のショッピングをしたり、週末は好きな旅館で過ごしたり。ここ数日はそれをちゃんと実行している。もちろん、オーストラリア大使館でメディアのあり方や「ブランド•ジャパン」についてのパネルディスカッションに参加したり、東京駐在のイギリス大使とミーティングをしたりもしている。
つい先月起こった大惨事から、ポジティブな面を見出すのは容易でないが、「ブランド・ジャパン」の見直しが急遽進められていることは、プラスポイントだろう。多くの海外の報道機関は日本PR力の乏しさや、情報の取り扱い方に疑問を呈している一方、日本人は日本の実情や内容に関する無責任で不正確なニュース報道に憤りを感じている。
ほんの先週までイギリスやアメリカのニュースは日本人は外出を控え、花見もしていないかのように報道していた。実際に鹿児島でも東京でも、ちょっとクルマで回ってみれば、公園や通りは花見を楽しむ家族連れでにぎわっていることがわかる。
東京のストリートから外国人が姿を消したのは確かなのだが、だからといって人々の普通の生活や活気が消えてしまったわけではない。放射能汚染がコワくて銀座で買い物するのをやめた中国人、フランス人もまだ姿を見せていない。原宿でショッピングを楽しむ韓国人男子グループも見なくなった。でも、先週末の丸の内や青山は多くの買い物客でにぎわっていた。
菅首相は大震災の1ヶ月後に「全国民の英知を結集し復興にあたる」と宣言している。ところが、全世界に向けて、日本に対する間違った見解を改めてもらうようには働きかけることはしなかった。「ニッポン」というブランドを新たに国際的に打ち出す重要なチャンスだったと思うのだが。
日本国民にこそ外出してお金を使うよう働きかけているが、海外諸国に対しても寄付や援助への感謝を伝えるだけでなく、日本行きの飛行機やホテルを予約し、より多くの人が再び日本を訪れるように働きかけるべきだっただろう。
私は日本復興への第一歩は、そのすばらしい食べ物や飲み物、各種サービス、おもてなし、インフラ関係、鉄道、風光明媚などを、より多くの外国人に体験してもらうことだと思っている。東北地方の再建には時間はかかるだろう。でも、大阪ではタクシー運転手は白い手袋と蝶ネクタイという正装だし、まもなく大きな三越伊勢丹だってオープンする。南九州の地鶏の刺身のおいしさもプロモートしたい。表参道の珈琲屋台にはカプチーノを買う行列ができているし、今からでも北海道まで足を延ばせば、桜のお花見に間に合うのだから。
2011年4月15日 フィナンシャルタイムズ掲載
日本語訳 山下めぐみ***
Still time to catch the blossom
By Tyler BrûléPublished: April 15 2011 22:10 | Last updated: April 15 2011 22:10
“Should I go to Japan? Is it safe? Should I wait till next month? Next summer? Next year?” These have been the most frequently asked questions to hit my inbox over the past few weeks. From newlyweds in California who’d booked their honeymoon to Nagano months ago to regular springtime visitors who like to spend afternoons wandering under the sakura, or cherry blossom, in Kyoto to seasoned diplomats who you’d reckon might be better informed, there’s been a steady flow of correspondence from readers concerned about food supplies, the state of infrastructure, the glaring issue of radiation and the general mood on the street.
I landed in Tokyo last Friday, exactly four weeks after what’s now been dubbed the Great East Japan Earthquake struck, and I’m happy to report the mood on the street is much improved compared with my visit a month earlier – the lights are a little bit brighter, the queues at Tokyo petrol stations are gone, shopping hours are back to normal and some favourite dining and drinking haunts are busy – though sadly many remain closed because of supply issues and less passing trade.
While NHK’s flagship news bulletins are still largely devoted to reporting on recovery efforts, Fukushima and the task ahead for the Reconstruction Design Council, the insecurity about radiation levels has also lifted and been catalogued as just another daily risk like crossing the street, skiing without a helmet, eating oysters or posting too many personal details about yourself on Facebook.
Just as many westerners who fled Japan have now been dubbed “Flyjin” (a play on the Japanese term gaijin for foreigner), radiation humour has become a constant in many conversations as locals try to see the positives from the crisis. A colleague suggested that all that radiation might be a competitive advantage to help Japanese farmers grow bigger show fruit for the gift market, and in a country obsessed with skincare there’ll no doubt be someone who’ll turn Fukushima soil into face-packs and body wraps.
It was essential to visit Japan for pressing business assignments, but at the same time I had decided during my last visit that I’d come back as swiftly as possible to do some summer shopping, spend a weekend at a favourite ryokan, check into some favourite hotels and visit clients. It’s exactly what I’ve been up to for the past couple of days – along with sitting on a panel to discuss media issues and the future for Brand Japan at the Australian embassy and meeting our ambassador to Tokyo.
Though it’s difficult to identify any positives from the events of the past month, the renewed emphasis and urgency about rethinking Brand Japan is something of a plus. While most international news organisations have called into question Japan’s poor PR skills and general mishandling of its messages, the Japanese have been outraged at the irresponsible and inaccurate reporting of events, facts and the overall state of the nation.
As late as last week British and US television channels would have had most of us believing that the Japanese weren’t out enjoying the cherry blossoms but it only took a quick spin in a cab in Kagoshima and later Tokyo to see parks and boulevards packed with families enjoying the delicate fluttering petals.
For sure, there’s an absence of foreigners on the streets of Tokyo but that doesn’t mean there’s an absence of life or vibrancy. The Chinese might have been scared off from shopping in Ginza, because of misplaced fears of contamination; the French are still in hiding, and there aren’t the usual packs of Korean boys shopping in Harajuku. But the shops of Marunouchi and Aoyama were bustling with Japanese shoppers last weekend and they weren’t just browsing.
Prime minister Naoto Kan called on the nation to get back to normal earlier in the week but he missed a crucial opportunity to rally the rest of the world to reset its view of Japan and also take a first step to establishing a new pillar for the Nippon national brand.
While encouraging his fellow countrymen to get out and spend, he might have also thanked the world for their generous support and donations but encouraged close allies and neighbours not just to send money but to board aircraft, book hotels, plan meetings and visit the country.
The fastest track to rehabilitating Japan is to get the world to sample what I believe is the best food, drink, service, hospitality, infrastructure, retail and scenery anywhere. The Tohoku region has a tough path ahead but the taxi drivers in Osaka are still wearing gloves and bow-ties; Isetan will open a massive new department store in that city in two weeks’ time; the chicken sashimi is a delight in southern Kyushu; they are still lining up for cappuccinos at Omotesando Koffee’s one-man stand; and if you hurry you can still catch the sakura up in Hokkaido.
照明を落とした東京...タイラー・ブリュレ|MONOCLE編集長
こんなコラムを今、いや、永遠に書きたくはなかった。3月11日、日本を襲った地震から丸1週間経った17日の午後、羽田空港のJALのラウンジでこれを書いている。まもなくキャセイパシフィック便のホンコンに行きに乗り、そのままミラノに向かわなくてはならない。空港内は騒然としているわけでもなく、列に並ぶ人の様子もいつもと同じだ。本当は今日、日本を後にしたくなかった。当初は明日発つ予定だったのだが、全フライトのスケジュールが変更になり、一日早く飛ぶことになってしまったのだ。窓の外、東京湾の向こうを見つめながら、ここ数日に起った事を思い返している。
東京に着いたのは地震から4日目の3月15日だった。いつもならソウル金浦空港16時35分発、羽田行きのANA便は満席に近く、ビジネスクラスは大抵空席待ちだ。でも、この日金浦空港のANAの発券カウンターは静まり返っていた。チェックインしようとすると奥からマネージャーが現れ、数人掛かりで世話を焼いてくれる。ボーディングパスの発券を待つ間、フライトの混み具合を尋ねた。係員はとっさに笑みを浮かべたが、すぐに表情を固くして「NH1164便は空いていますね」と答えた。
ソウルにいた96時間の間、私は東京のスタッフにひっきりなしに 現地の様子を聞きながら、一緒にロンドンから来たスタッフの様子をうかがっていた。本来は4人で東京入りすることになっていたのだが、地震の影響で出発前に16日に予定されていた撮影がキャンセルなった。東京のスタッフから随時情報がアップデートされるなか、敢えて今、東京に飛ぶ必要性があるのか、できれば行きたくないという様子がありありと伝わってきた。気が進まないならこのままロンドンに帰ってもいいが、日本のスタッフが通常通りに仕事をしているのだから、モラル面で、またプロとして彼らをサポートするためにも東京入りするべきではないのか?ミーティングの合間を縫って説得を続けたが、結局、彼らは搭乗ゲートに現れなかった。
搭乗した機内では、ビジネスクラスには自分のほか2人しかいなかったが、エコノミークラスは週末をショッピングや焼き肉三昧で過ごした若い女性客らでかなり混んでいた。私は席に着くと日本の新聞の英語版など読んでは窓の外を眺め、日本の将来がどうなるのか2時間の間考え続けた。羽田空港が真っ暗でガラガラでないようにと願いつつ、機体が雲をくぐって羽田に向かって降下を始める。窓から下を眺めると、これが東京の上空であるとはにわかに信じられなかった。節電のため照明が最低限に抑えられていたからだ。空港に降り立っても、広いコンコースはガランとしていて、入国審査の列もない。パスポートをチェックした係員は私の職業欄を見て「今、日本に入国してくるのはジャーナリストだけですよ」と苦笑いを浮かべた。
グランドハイアットにチェックインする際には、客室の占有率を尋ねた。欧米人の管理職がいなくなった代わりに、アジア各地から呼び寄せられた日本人のビジネスマンでかなりいっぱいになっているとのこと。なぜ、イギリスやフランス、オーストラリア人のボスたちは、現地のスタッフに仕事を投げて日本を逃げ出すことが許されたのか。今後しばらく各社のミーティングでの気まずい議題になるに違いない。
到着から数時間後、青山にある大好きな和食店「 圓(まる)」で東京のスタッフとミーティングを行なった。「大気の汚染が心配なら、なんで北京や香港に行くの?」という声に、笑いが起こる。放射線の量や風向きを頻繁にチェックしながら、相当な量の日本産白ワインのボトルが空になった。「逃げるか、逃げざるか」という危機的な状況下、団結心が芽生えていることを感じた。
日本に来る時は、いつもノリコとマスミが、ミーティング8件、夕食会を2回、ひと通り飲んだあとにカラオケという具合に、目一杯なスケジュールを立ててくれる。今回はさすがにそれはないだろう、と思っていたのだが、翌日の16日、マスミがいつものようにビッシリと詰ったスケジュール表を拡げ、仕事を開始した。ガソリンスタンドの閉鎖は目立つが、交通はいつもより若干少なめ程度。ノリコの運転するトヨタのハイブルッドカーで車内のTV画面に釘付けになりながら (ここから出る放射線の害の方が大きいのでは?)ミーティングの場所に向かう途中、信号待ちの間に千葉が震源の余震が来た。揺れを感じながら、そのレポートを車内でライブを見ながら、またクルマが普通に走り始めるというのも奇妙な体験だった。
いつもと違うといえば、私が訪問したオフィスのほとんどが通常より照明を落とし、少ない人数で時間を短縮して仕事をしていることぐらいだろう。そしてやるべき仕事をこなすため、地震の話などしている暇はないという強い使命感が感じられた。そんな中、大手店舗グループの社長に、宮城県内にある工場の10件余りが被害を受けたと聞いた。「害を免れたところもありますが、崩壊してしまったところもあります。最高に美しく、肩のラインが完璧なスーツを作るテーラーなど、高い技術を持つ職人を抱えた小さな取引先とも、いまだに電話がつながらなくて・・・」。
今回、大きな被害を受けた地域には、同じように高い手工芸的技術を持った工房が数多くあるそうで、そのいくつかを失ってしまったら、この先どうしていいのかわからない、と社長は続けた。こうした小さな隙間産業の喪失は、東京の本社で製品を作るのに不可欠なパーツが揃わないことに気付き、初めて明るみになることが多い。そう、永遠に失われてしまったかもしれないということが。
2011年3月18日 フィナンシャル・タイムズ紙掲載
日本語訳 山下めぐみ***
Tokyo with the dimmer switch on
By Tyler BrûléPublished: March 18 2011 17:19 | Last updated: March 18 2011 17:19
This isn’t the column I wanted to write this week – or ever. It’s late Thursday afternoon in Tokyo, I’m sitting in the JAL lounge at Haneda airport and I’ll soon board a Cathay Pacific flight for Hong Kong and then carry on to Milan. The airport isn’t chaotic, the queues aren’t anything out of the ordinary and I really don’t want to go. I was originally supposed to fly on Friday but all the flight changes forced an early departure and I’m staring out across the bay to Tokyo and taking stock of the past few days.
I arrived in Tokyo on Tuesday. The 4.35pm ANA flight from Seoul’s Gimpo airport to Tokyo Haneda usually operates at close to 100 per cent capacity – with business class frequently wait-listed. When I walked up to the counter at Gimpo on Tuesday afternoon, there wasn’t a passenger in sight in the ANA check-in zone and as I approached the desk a manager eagerly popped out from behind to assist his staff with the check-in procedure. While boarding passes and bag tags were being printed, I asked how full the flight was. For a brief moment he instinctively smiled and then shifted his lips to a frown and said flight NH1164 was “empty”.
For the better part of 96 hours I’d been corresponding with staff in our Tokyo office to gauge their moods while also monitoring the behaviour of the five London-based colleagues with me in Seoul. Originally, four of us were due to travel on to Tokyo but by mid-afternoon on Monday a photo-shoot scheduled for Wednesday had been shelved, there were frequent questions about the necessity for the trip by others, the Tokyo team was continuously updating and assessing the viability of the schedule, and all along I was getting a strong sense that my cohorts weren’t keen on making the trip to Japan.
Between meetings I took the opportunity to fire off a quick e-mail explaining the situation and advised that anyone uncomfortable about travelling to Japan could return to London but that we also had a moral and professional responsibility to support our colleagues in Japan if they were still going about their normal business and working as usual. By the time I reached the gate, I was alone.On board there were just two other passengers in business class but economnt,y was quite full, mostly with Japanese girls returning from long weekends spent shopping and enjoying Korean barbecue. I settled into my seat, scanned the Japanese English language dailies and spent the next two hours staring out of the window and wondering what the future holds for Japan.
Hopefully, it won’t be as dark or as empty as my arrival at Haneda. As the aircraft dropped out of the clouds it was hard to believe we were lining up to land in Tokyo: the city was operating on the lowest dimmer setting. Inside the terminal, the long concourses were empty and there were no queues at immigration. The officer who inspected my passport smiled when he noticed my occupation. “Journalists are the only people landing in Japan,” he said.
On check-in at the Grand Hyatt, I asked the manager on duty how busy they were and was told that the hotel was quite busy with Japanese guests (mostly management level from around Asia) who’d been flown in to replace the western managers who’d left town. No doubt this will become an uncomfortable topic for discussion at regional board meetings in the coming weeks and months as Japanese staff question why it was OK for British, French and Australian bosses to flee while leaving local staff to man the fort.
A few hours later at a staff dinner at Maru (a favourite restaurant in Aoyama), a colleague wondered aloud why people were going to places such as Beijing and Hong Kong if they were so concerned about air quality. This caused a roar of laughter and set the tone for the rest of the evening as Japanese white wine was consumed in great quantities, mixed with frequent weather checks to see where the radiation was blowing. There’s a certain camaraderie that comes with sticking together in these types of “should I stay or should I go” situations, I’ve found.
Normally, my colleagues Noriko and Masumi have a knack for creating the most elaborate schedule that usually involves at least eight meetings, two dinners and a round of drinks, followed by singing, but this time I had been expecting a quiet Wednesday until Masumi-san pulled out the schedule and it was rammed with as many meetings as usual. While traffic was a bit lighter than normal, many petrol stations were closed and we were glued to the TV in Noriko’s new Toyota hybrid while she drove – surely a bigger health hazard than radiation? – from one appointment to the next. Though it was an odd experience to be sitting at a set of traffic lights and feeling an earthquake in Chiba while it was reported live on the car’s TV, the drive almost passed for business as usual.The only difference was that most companies I visited were operating with more lights off, fewer staff and a more relaxed schedule. Nevertheless, there was a strong sense of purpose that business needed to be done and very little time spent discussing the disaster. The one exception, however, was a chief executive and founder of a large Japanese retail group who told me that nearly a dozen of his factories had been hit in and around Miyagi. “Some of them are fine but some are destroyed. I work with a very small company with just a few tailors and they make the most wonderful suits with the most perfect shoulder shape. They’re so skilled,” he said. “But no one answers the phone.”
He said there were many talented, small craft-based firms in the region and he wasn’t sure what he was going to do if he’d lost some of them. Indeed, the complete deletion of some niche manufacturers will only come to light as their headquarters in Tokyo resume normal operations and find essential craftsmen and artisans in their supply chains have vanished – for ever.